
昭和36年5月号、つまり3周年記念の封筒には2冊のリーフレットがはいっていた。
一冊は「青い窓」、そしてもう一冊は「組曲青い窓」の楽譜であった。そのいきさつは次のようなことである。
その年の1月5日付読売新聞全国版で「青い窓の町」運動が紹介され作曲家、高木東六先生の目にとまった。
そして、数日後、高木先生から私あてに一通の手紙が届いた。
その内容は、「今度お母さんと子供のための曲集を作ることになったが、その中に、子供自身の詩も入れたいと思う。
ついては、二篇ほど推薦していただけるだろうか」というものであった。
私は、わりとリズムの整った詩を選んでみたが、どうしても二篇に絞ることが出来ず、五篇を送って先生の選択に
ゆだねることとした。
立春が過ぎて間もない頃、高木先生から朗報が届いた。五篇全部に曲をつけたというのである。私達は小躍りして喜んだ。
又、その手紙の後半には次のようにも書かれていた。
「作曲上まことにやむを得ないことなのだが、ほんの少し言葉を変えさせていただきたいと思う。そのことは作者の了解を
得なければならないので、教師か父兄同伴の席で、一人一人と話しあってみたいと思う。ついては、そんな場所をお世話して
いただけるだろうか……」。
子供の権利を大切にする高木先生の姿勢に私達は感動を持って共感し、早速その準備に取りかかった。
ところが、準備の過程で私達は思いもかけぬアクシデントに突きあたってしまった。五篇の中の一篇が盗作だったのだ。
私達は、初めての経験だったので、同人間で幾度も討議を重ね、見解の一致を見て処理に踏み出した。
実作者が東京在住の成人だったので、上京して陳謝し、高木先生にも連絡した。子供には一切叱らずに、「してはいけないこと」
として話しあった。子供の場合、盗作の動機は憧れであって、決して悪意ではないのだ。その点、大人とは全く違うことを、
子供を通して私達は知ることが出来た。あの時期に、この体験が出来たことは、「青い窓」にとって大きな意義があったと思う。
さて話しあいの当日は、予定していた全員が出席され、同伴者の助言もあって子供達は高木先生の意向を了承してくれた。
そして、「組曲青い窓」は正式にここに誕生したのである。
高木先生のやさしいお人柄に子供達の話しもはずみ、得がたい創作体験を子供の口から聞くことが出来た。
組曲は次の五篇であった。
おはじきがじょうずなおかあちゃん 橋本 恵子
朝やけ空 工藤 ひなゑ
たなのびん 深谷 サト
白いおさら 大平 よし子
となりのもちつき 新谷 あけみ
昭和48年、第二詩集出版の話が出た時、ペアで曲集も出せたら……、私達は夢を見たその意向を高木先生に伝えると、
先生は快く引き受けて下さった。
そして、創刊15周年にあたる5月、詩集「コップの底のお母さん」と20曲を収めた「青い窓の歌」がペアで出版された。
私達は音譜が加わることによって児童詩運動がこんなにも豊かになることを身を持って知ったのである。
組曲「青い窓」は今もいろんな場所で歌われているが、その度に、あの小躍りして喜んだ日の感激が蘇ってくる。
(平成2年 青い窓10月号に掲載)
****************************
子どもの自由で瑞々しい感性は、大人の創作意欲をかきたてるのでしょうか。高木東六先生をはじめ、
今までたくさんの音楽家が、青い窓の詩に曲をつけています。
曲調も叙情歌や合唱曲など、みんなが親しめるもの、オペラ歌手の歌唱による歌曲、ポップスに
アレンジしたものなど多種多様です。
そして、子どもを創作者として尊重して下さった高木先生。その姿勢は、児童詩を預かる私たちにとって、
現在も大切な行動指針となっています。
一方で「子どもの詩だから、勝手に使っていいと思った。」「良い詩だから、曲をつけてあげた。」
「子どもの詩を紹介したかったので引用(展示、朗読)した。」というケースを時折耳にします。
青い窓では子どもや作品の権利を守るため、使用においてのルールや基準を設けています。
・リーフレットに掲載されている、全ての詩・文章・イラストの転載・引用
・詩を元にした作曲・イラストなどの二次創作
これらを希望される場合は、事前に当会までご連絡、許諾の申請をお願いします。
子どもや児童詩の魅力を知って頂く機会は、会としても大切にしたいと考えています。
だからこそ、創作者への敬意を持って頂けますよう、お願いいたします。
(解説・青い窓の会事務局)