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その九 「ようこそ、スベン・ラーセンさん」青い窓の歌 佐藤 浩


 

 

 

 

 

 

 スベン・ラーセンさんとの出会いは私にとって忘れることのできない思い出である。

こう書いていても、握手をした時のあのがっしりとした手の感触が私の手に甦って来る。

 アンデルセンの生まれた町、デンマークのオーデンセでは生家を記念館として保存しているが、

スベン・ラーセンさんはその館長をつとめ、又、北欧五カ国の民族学会長もされている学者なのだ。

そして、この二つの町、郡山とオーデンセを結んでくれたのはわずか四坪の「アンデルセンギャラリー」

なのである。

 

 この出会いの2年前、つまり昭和35年、柏屋では洋菓子の分野へ進出するため、その第一歩として

テストショップを作ることとなった。その時、もし希望があれば二階を子供たちのために開放しても

よいのだが、という打診があった。私は自由に絵を描き、粘土細工に熱中し、寝ころんで本も読める、

そんな子供中心の場がほしいと思っていた矢先だったので喜んで借りる事にした。そして、四坪の空間に

ぎっしりと夢をつめこんで「アンデルセンギャラリー」と命名した。

 

 ギャラリー運営の柱の一つはアンデルセンの紹介にあった。そこで、デンマークについての第一人者で

あられる平林広人先生をお招きして、私達もアンデルセンを学び、ギャラリー運営にも貴重な助言をいただいた。

資料などもすべて先生の御紹介でデンマーク大使館から頂く事が出来た。

 アンデルセンギャラリーは駅前大通りにあって、駅から三分、緑のとんがり屋根が目印だ。

一階はチョコレートショップ、二階はギャラリー、階段を踏めばオルゴールが響いて、まるで北欧の童話の家が

突然ここに現れたようだった。

やって来る子供達も日増しに増え、おばあちゃんと孫の連れもいつしかレギュラーとして幾組も顔を見せる様に

なった。

 スベン・ラーセンさんが外務省の招きで来日されたのは昭和三十七年三月だった。

三十四年に皇太子(当時)の御成婚記念で川崎市に作られた「こどもの国」へ、アンデルセンハウスの模型と

設計図を贈る事が目的だった。

その用事を済まされたスベン・ラーセンさんは日程をわざわざ割いて郡山においでになったのである。

 郡山での歓迎は大変な盛況であった。デンマークの国旗を持った小学生が道にあふれ、会場に充てられた

児童会館には「青い窓」の子供達を中心に、平林、高木(東六)の両先生、童画家の初山滋先生など、

会場は歓迎の人で埋まった。

 

 スベン・ラーセンさんは挨拶の中でこう話された。

 ―アンデルセンの童話に「絵の無い絵本」という作品がある。月が世界の国々を見ながら夜空を旅する話だが、

その33話はデンマークだ。

 月が少し開いている窓から部屋をのぞくと、今しも四歳の女の子がお休み前のお祈りをする所だった。

ベッドのわきの母親に見守られながら幼女はこう祈った。

 「神様、明日のパンもお恵み下さい。バターもいっぱいつけてね」

 実はこの童話が書かれた頃、隣国同士の戦争でデンマークの国土は戦場にされてしまっていた。そして国土は

荒廃し、国民は一さじのバターにも事欠く有様であった。この童話はそんな国民の願いをこめて書かれたもので、

平和への願いが秘められている。

 デンマーク国民は、バイブルと同じようにアンデルセン童話を代々読み継いでいるが、「絵の無い絵本」が

書かれて百年を経た今日、デンマークは世界一のバター輸出国になった。

 私はこの話を聞いて、がーんと叩きのめされた思いがした。あの戦争中、言論弾圧によって根木屋小学校を

追い出された時から、ペンほど弱いものは無いと思っていたからだ。

しかし、スベン・ラーセンさんとの出会いのあと、私は自分の心に深く刻んだのだ。文学のオリンピアードは

一世紀を単位としなければならないと。

 

    (平成三年 青い窓三月号に掲載)

 

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 佐藤は『子どもの側に立って物事を見、考える』という理念を持っていました。

ですからアンデルセンギャラリーの開設に際し、子どもに『形だけの遊び場』を

与えようとはしませんでした。

コンセプトを定め、大人がアンデルセンについて深く学ぶ。子どもの創造力や

想像力を育む場を整える。これらは子どもたちのみならず、青い窓にとっても、

アンデルセンや子どもの本質を理解する、貴重な機会であったと推測します。

 そしてアンデルセンが『絵の無い絵本』に込めた平和への願いを知り、佐藤は

心を奮い立たせます。青い窓は今年で創刊六十五年。佐藤が理想として掲げた

一世紀にはまだ及びません。子どもの詩という文化、文学が末永く大切にされるよう、

バトンを渡された者として身が引き締まる思いです。

 子どもが生きることに絶望せず、夢や希望を描ける場所は、大人が創り、

守らなければならないのです。昔も今も、これからも。

 

(解説・青い窓事務局)