「民族学から言って『世代の断絶』などある訳がないのです。
もしあるとすれば、それは『無知』です。だから、お互いが知ろうとすれば
『断絶』はたちどころに消えてしまうでしょう。」
民族学の宮本常一先生は、私の質問にこう答えられた。
「世代の断絶」とは、昭和四十四年に流行語となった言葉だが、
その出典はアメリカの経済学者P・F・ドラッカーの著書(注1)で、
商品にあらわれた世代間隔差が、もはや経済から意思疎通の問題に移って
しまっているという理論である。
日本では、もっぱら意思疎通の問題としてだけ取り上げられたきらいがある。
宮本常一先生は、日本民俗学の父、柳田国男の流れをくむ当時の第一人者で、
郡山地方自治研究会の講師として昭和四十五年にお招きしたのである。
当時、その会の代表をしていた私は、お相手する機会に恵まれ、この稿の冒頭で
書いた言葉もその時いただいたものである。
そして「あるのは無知だ。」とお聞きした時、私はとっさに思い当たるものが
あった。それは猫のことである。
私は白くて美しい猫を飼っていた。「ホワイト」と名づけたが、いつしか
「ホワイ、ホワイ」と呼ぶようになった。気位の高い猫で、膝の上に抱いても
すぐ下りてしまって、手の届くほどの所に座っている。
しかし、まれにはころんとひっくり返って、腹を上にした可愛いしぐさを見せるのだ。
そんなしぐさが見たくて、鰹節をけずってやるのだが、いつも食い逃げをされていた。
美しさを鼻にかけているのだな、と思った。
ある日、会社から帰って来て玄関を開けると、左手の襖の陰でことんと音がした。
はてな?と思い、もしかしたら、とも思った。それで翌日、玄関を入るとすかさず
襖を開けて中へ手をさし入れた。案の定、ホワイがあのしぐさをしているのだ。
私は胸を熱くしてホワイを抱き上げた。
多分、長い午前と、長い長い午後を待ちきれず、私の足音を聞いて誰も見ていない
襖の陰で、毎日あの嬉しいしぐさを繰り返していたのだ。
私はこの事を「襖の陰のことん」と呼んでいるが、それにしても人間は進化の過程で、
なんと大事なものを忘れてきてしまったのだろう。
講演の翌日、私と市の職員とで宮本先生を民俗資料館へご案内した。
郡山市は、明治初期の繊維工業から発達した町であることをご説明しながら館内を
廻っていくと、糸車が三台並んでいるところへさしかかった。
一の糸車は、台も車も直立した木製だった。
二の糸車は同じ木製だが、少し斜めに傾斜していた。
それは、はずみをよくするためだと私にも分かった。三の糸車は真ん中に自転車の
ギアがはめ込んであって、やはり車だけが斜めについていた。
先生はその前で立ち止まられて職員に話された。
「一と二の間に、直立のままはずみを工夫したものがあるはずだから、ぜひ探すといい」。
すると職員が答えた。「それはありましたが、壊れていたので捨ててきました」。
すると語気を強めて宮本先生がこうおっしゃった。
「壊れた物に価値を認めないのは骨董趣味です。
壊れた物から工夫が生まれ、より良い物が生まれてくる。それが文化です。
削りかす一つからも、大変な物を学びとることが出来ます」
私は目の前がパッと明るくなるのを感じた。
そして、文化とは失敗がバネになった歴史だ、と思った。
温顔という言葉があるのだから、温声という言葉があったもいいはずだ。
宮本先生は数年前、鬼籍に入られてしまったので、その温声に接することはもう出来なく
なってしまった。
ただ一度の出会いであったが、私の児童詩観、文化観に大きな影響をもたらし、
「青い窓」にもそれが色濃く投影されていると思う。
(平成三年 青い窓十月号に掲載) 注1 著書名は「断絶の世代」
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「世代間の断絶」という言葉で頭に浮かぶのは「今どきの若者は…」
という嘆きではないでしょうか。
一説によると、紀元前二〇〇〇年頃のトルコで作られた粘土板に
「最近の若い者は…。」と彫られているものがあるそうです。
人類共通の心情、というと少し大げさですが興味深いものです。
「無知」は、本質を見抜く眼を曇らせてしまうもの。
私たちが「見ている」ものは、時として無知や決めつけというレンズを
通したものになっていないか、自分自身に問いたくなりました。
私たちはレッテルを貼ることで、分かったつもりになり、そこからの
思考が停止しがちです。年齢や性別、経歴や肩書では、その人を真に
理解するには至らず、ともすれば差別や偏見につながりかねません。
分からないからもっと知りたい、出来なかったから、より良いものを
創りたい。そうした「バネ」を心の中に携えていく、それが人間の素晴
らしさなのだと思います。
(解説・青い窓事務局)