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その十 「第一詩集の誕生」 佐藤 浩


 

 

 

 

 

 

「私はこの本を単なる児童詩の作品集にしたくなかった。『青い窓』という一つの運動、

教育のためではなく、もちろん宣伝のためではなく、なんのためでもなく、まるでひとつの

ため息のように、それとも思わず口ずさんだひとつの歌のように、自然に生まれた魂の運動―

その流れと、響きとひろがりとをそのままにとらえたいと願った。」

 昭和三十九年七月、初の単行本として出版した第一詩集「青い窓」のあとがきで、

詩人谷川俊太郎さんは、こう書いている。

 

 出版元は東京、柴田書店で、食堂、ホテル関係の書籍を専門とする出版社だが、社長、

柴田良太さんの強い要望があって、私達も第一詩集の出版に踏み切った。(中略)

 第一詩集「青い窓」は新書版二百四十八ページで、内容はあとがきに書かれてあるように

単なる作品集ではなく、母親や、教師の座談会も取り入れた、文字通り運動としてとらえられている。

編集は谷川さんと私で、出版部数は一万だった。

 

 更にこの詩集にはポケットに入る程のかわいい歌曲集がついていた。高木東六先生の全くの

ご厚意から生まれたもので、組曲「青い窓」五曲に、新たに十五曲が加わった宝石のような

冊子であった。

 九月に出版記念会が催され、詩集に作品の載った子供達七人をはじめとして、柴田社長さん、

谷川さん、秀瀬市長さん(当時)、高木先生など、百人を超す参加者で会は賑わった。

 挨拶やスピーチの合間をぬってNHK児童合唱団の歌声が流れ、地元金透小学校の器楽合奏が響いて、

心は和やかにとけあっていた。

 

 「こんなにすばらしい詩集が生まれる町に、音楽大学の無いのはおかしい」と高木先生がスピーチで

言えば、「それはぜひ実現したい」と市長が答える一コマもあって、会場から笑いと拍手がおこった。

 また、谷川さんがスピーチの中で、「今後、青い窓運動をどう進めて行かれるのか、それをお聞き

したい」と私に問いかけられた。

私は、「今までがそうであったように、今後も毎日の仕事の中から見い出していく他はないと思う。

ただ、私自身は、子供がたっぷり持っているカオス(混沌)について、もっともっと深く見つめて

行きたいと思う」と挨拶の中で答えた。

 

 その後、二十数年見つめ続けているが、禅と通じあうものがあって、思わず息を飲む時がある。

そして、カオスにさかのぼることが詩の本質であろうと思っている。

 

 高木先生の指導で、組曲「青い窓」の「朝やけ空」を全員で合唱し、出版記念会は終わった。

詩人の三谷晃一さんは、その日のサインにこう書かれた。

「窓は枠ではなく、無限の広がりの約束である」と。

 

 

 

(平成三年 青い窓四月号に掲載)

 

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  第一詩集は、創刊から六年目の昭和三十九年に出版されました。

六年の間に集まった作品は千篇を超え、詩集には約百篇が掲載されています。

また、読者からのメッセージや、青い窓の歴史についての解説も収められています。

 そして佐藤は、子どもの持つカオスについて『まだ何にもなっていないからこそ、

何にでもなることが出来る状態』とも述べていました。

子どもが持つ混沌は、大人の常識や経験を飛び越え、個性豊かな発想や表現を

生み出します。作品の良し悪しだけを見るのではなく、子どもと共に疑問や感動を

分かち合うことで、子どもへの理解もより深まっていくのではないでしょうか。

 

 子どもの中にあるカオスを見つめ、追求し続けた佐藤。

無限に広がる宇宙のように深く、示唆に富んだ言葉を遺しています。

『可能性とは、まだ出会っていない自分のこと』。

 

(解説・青い窓事務局)