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その十八 「生まれる前」 佐藤 浩


 

 

 

 

 

 

「父母未生以前」という禅語があります。「生命」の根源に向けられた知恵の目

から生まれた言葉なのでしょう。

児童詩にも「生まれる前の自分」に視点をおいた作品がしばしば寄せられます。

そこで、その数篇を選んで鑑賞をしてみたいと思います。

 

生まれてくる前のわたし

小学一年  せきぐち やすこ

 

生まれてくるまえに

わたしは

おかあさんのおなかの中にいた

おかあさんのおなかの中は

まっくらだったみたいだ

ときどき

おかあさんが口をあけるので

あかるくなる

わたしは

おかあさんのたべるごはんや

おかしをすこしもらって

たべているとおもうな

ようふくは

にんじんやキャベツやタマネギの

ようふくだ

ときどき あそぶときは

ほねをのぼっていって

あそぶのです

たのしかったとおもいます

 

ここには生後の体験が投影された母体内での生活が、一年生らしい想像で大らかに

描かれています。

  

わたしがうまれる前

小学三年  酒井 美奈

 

わたしがうまれる前

わたしはかみ様の所にいたんだ

雲でできたテーブル

星のかけらで作ったフォーク

月の光のジュース

みんなかみ様が作った物ばかり

わたしはどこに行くか

地図をみながらこう言った

「アメリカは広くて

まいごになりそうだ

日本は小さいから

ここにしよう」と言った

次にママを決めたんだ

そしてかみ様に

「さようなら」

をしてわかれてきました

今はとっても幸せです

 

 

ここでは母体に宿る前、作者の生命が神と共にくらしていた、その時の様子が

豊かに描かれ、更に注目すべきは生命自体が生国(しょうごく)と生母を

選んでいることです。

 

生まれる前

小学四年  渕辺 俊紀

 

生まれる前

ぼくはどこにいたんだろう

地球ができて46億年間

ぼくはなにをしていたのかな

ずっと

地球上にでるのを待っていたのかな

今思えば

46億年間ずっと遊べばよかったのにな

それに

こんなこと神さまが決めたのかな

(「おきなわ青い窓」より)

 

 

ここでは地球の誕生と生命の発生を同時と見、天地一杯にその声明を受け止めて

いるのです。荘子(そうじ)のいう「無窮に遊ぶ」に通ずるものがあります。

そして三篇ともに未生以前の時空を楽園と捉え、「遊戯三昧」の境地を高らかに

謳っているのです。

さて、もう一篇次の詩をご覧ください。

 

水の中

小学五年  橋本 美香

 

水の中っていいな

なにか やさしいものに

だかれているみたい

小さいころ おぼえがあるような手

 

母の手のような水の中

息は 苦しくなってしまうけど

 

太陽の光が水をもっと もっと

美しくしてくれる

今ある世界より美しい

ふれるときえてしまう

まぼろしの世界

 

最近、遺伝子や胎児期の記憶がしばしば話題にのぼります。私もこの「水の中」

という作品の核には、作者の胎児期体験の記憶が存在しているように思われて

なりません。しかもそれは知的な記憶ではなく、胎児の身体的感性の記憶なのです。

 

 (平成五年 青い窓二月号に掲載)

 

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