· 

その2 はばたいてやって来た封書


 初山滋さんからの手紙が届いた昭和三十四年六月、

 詩人の菊地貞三さんからも次のような手紙が寄せられた。

 「(前略)今号で急に感じたものではありませんが、

 作者の殆んどがかなりのテクニシャンで、どの作品にも

 才と智が先行している傾向があります。(中略)

 レトリックの新しさよりは目の偽らぬ新鮮さを、

うまさよりはすなおなおどろきを。(後略)」

実は私もまったく同じ思いを創刊以来持ち続けていた。

子供の無垢な感動のすばらしさを私はとうに知っていたからである。

 

昭和十六年九月、私は(郡山市から)十キロメートル程離れた阿武隈山系の丘陵に立つ

根木屋国民学校に、代用教員として就職した。

もともと文学好きな私は、そこで子供達に初めて詩を書かせたのであるが、

その最初の授業で一少女の詩に出会った。

 

    コスモス

            四年 溝井 サキ

 三年生のとき

 とうちゃんが へいたいになった

 さけのまね とうちゃんが

 さけのんで

 どなるように あいさつした

 コスモスは わらった

 

 こないだ

 となりの ミエ子あねが

 きれいな 花よめさまになって

 わげから でていくとき

 だまって ないた

 コスモスは わらった

 だから

 コスモスは 大きらい

 

類型的なコスモスの詩に飽食を感じはじめた頃出会ったので、

強烈なものが私の胸に飛び込んできた。

その少女はまた次のような詩もかいて来た。

 

    ゆんべのこと

            四年 溝井 サキ

 ゆんべ

 おしっこに おきたら

 かあちゃんが ないていた

 ランプ つけっかい

 ときいたら

 つけんな といった

 きっと

 とうちゃんが へいたいだから

 みんな見でっから なかねんだ

 しんぺしねで ねな

 と かあちゃんが またいった

 私は ふとんを 頭までかぶった

 こおろぎは ひるまも

 ないている

 かわいそうな かあちゃん

 

この詩を私は教室に掲示した。ところが、このことが教頭の目に留まり、

思想をあおったという咎で退職を勧告され、私は七カ月の勤務で学校を去った。

しかし、私の心に住みついた数々の児童詩は、私の生き方を変えてしまうことになる。

 

さて、私はあの何もかもが新鮮で、太陽のにおいのする詩、子供達の書いた詩がほしくて、

一周年記念の五月号を県下の全小中学校へ送った。そして、胸をドキドキさせながら待っていた。

そこへ平二小から、続いて他の三校からぶ厚い原稿在中の、封書がはばたいてきたのだ。

 

かくて昭和三十四年六月号の表紙は、

平二小五年、工藤ひなえさんの「なみ」で飾られることになった。

 

佐藤 浩

 

(平成二年 青い窓四月号に掲載)

 

***********************

 

佐藤の心に痛みと共に刻まれた、サキちゃんとの出会い。

「子どもが自由に想いを描ける日がきっと来る」という佐藤の願いは、

青い窓の創刊によって結実しました。

 

佐藤は晩年、「一期一会」の言葉を元に、「一会一期」という言葉を造りました。

「一つの出会いが、その人の一生を決める。」という意味ですが、

児童詩との出会いは、まさに佐藤の一生を決める出会いとなったのです。

 

(解説・青い窓事務局)