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その十二 「心平先生のこと」 佐藤 浩


 

 

 

 

 

 

 

モリアオガエルが生息する阿武隈山地の川内村、その名誉村民であった

詩人の草野心平先生は、天山祭前に村に入り、ひと夏を天山文庫で過ごされた後、

東京へ帰られるのが毎年の例となっていた。

 

そして、その行き帰りにはいつも郡山に立ち寄られ、私たちもお会いする機会に

恵まれていた。

郡山では、本名善兵衛宅(注1)の渕に面した部屋が特にお好きで、刻々と移り

行く渕の色を眺めながら、酒を召し上がっておられた。酒の不得手な私はジュースで

お相手をしながら、耳はいつも緊張させていた。

そして、酒がまわると先生はよく「食べ物への仁義」について話された。

 

「野菜だって、魚だって、みんな僕らと同じくこの世に生まれてきた命なんだ。

しかし僕らはその命を食べないと生きていけないから食べるんだが、その命たちへの

仁義として、『とてもおいしかったよ』、と言ってやらなきゃね…。」

 

また、ぽつんとこんなことを言われたこともある。

 

「僕は時々、植物や動物の側に立って人間を見ることがある。」

なるほど、お聞きする「食べ物への仁義」だってまったくその通りだし、蛙の詩も

その視点で書かれているのだ。

 

食事が終わると、先生は自分の食べ残された料理全部を折りにして持ち帰り、川内村

手前の大滝根山中で、鳥獣たちに施餓鬼をされたのである。

 

こんなエピソードを聞いた事がある。先生を歓迎する宴で、白虎隊の踊りをお見せ

しようとしたところ、先生は急に居住まいを正されて「酒は止めて、正座をして

見せてもらうことにしよう。」と言い出された。

 

近くにいた主催者が「まあまあ、そんな固いことはおっしゃらずに。」と

申し上げると、先生は憤然として

「十五、六の少年たちが本当に腹を切ったのだぞ。酒席でみるものではない。」

と席を立たれてしまったという。

いかにも先生のお人柄が偲ばれるエピソードだが、先生は自分の意見に微塵の曖昧さも

許さなかったように思う。だから、曖昧な認識のままに意見を言うと、先生はよく叱った

ものだ。私も友人もほとんど叱られているのだが、ある時こんなことがあった。

 

先生を囲む五人ほどの酒席で話に興じていた。その時、友人のAさんが先生に質問をした。

「宮沢賢治は宗教のことで親父さんと衝突して、東京へ飛び出して行ったそうですね。」

すると相当に酩酊していた先生がいきなり大喝した。

「良く知らないでそんなことを言うもんじゃない。賢治はあの時、仙台駅で途中下車を

したんだぞ。途中下車をした賢治の気持ちがわからないか。」

その時、その席におられた秘書の灘波さんが驚いてメモを取った。二十余年おそばにいて、

はじめて聞く話であったとのことだ。

 

酔いが進むと、今度はこの言葉が出てくる。

「人間誰しも、生命を棒に振らない奴はいないんだ。豊臣秀吉は天下をとるために、

かけがえのない生命を棒に振ったし、ナポレオンだってそうだ。

どうせ棒に振る生命なら、振り甲斐のあるもので降ろうよ。」

これほど深く、生命の尊厳を伝えてくれる言葉が他にあっただろうか。

 

優れた詩人に贈られる「歴程賞」、その賞が植村直己さんに贈られたことがあった。

それからずっと後、先生はそのことについて触れられたことがあった。

「植村さんは世界で彼にしかできないことをやった。これこそりっぱな詩だ。」

このように先生のお言葉の一つ一つが私の身に沁み込んでいるように思う。

そして、深い示唆を湛えた本物の言葉は「青い窓」の仕事の中で息づいているように思う。

 

先生が亡くなられる半年ほど前、ほとんどベッド生活をなさっていたのに、私は自分の

エッセイ集「子供の深い目」の序文をお願いしてしまった。

口述筆記された灘波さんに後でお聞きしたのだが、決定稿の十数倍もの稿をお捨てになった

という。そのことに思いがいくと、いつも生々しい痛みが私の内部に甦ってくる。

 

(平成三年 青い窓九月号に掲載) ※注1 四代目 本名善兵衛(本名洋一氏) 

 

 

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みずからの身命を賭してでも、という意味が込められた『生命を棒に振る』

という言葉。

佐藤は生前、「私は児童詩で命を棒に振りました」と話していました。

児童詩は子どもの魂そのものです。数万篇を超える児童詩と出会い、自らの

命を捧げた佐藤。穏やかな表情の奥に、揺ぎ無い気概を感じました。

 

生き方そのものが詩となるなら、佐藤はその生涯に「青い窓」という詩を遺し、

私たちに詩の続きを託したのではないでしょうか。

佐藤を慕う人たちそれぞれの心の中で、書き加えられる終わりのない詩。

佐藤は今日もにこやかに頷きながら、続きを待っているに違いありません。

 

(解説・青い窓事務局)